

2008年4月20日に山口県下関市で喘息市民公開講座が開催されました。本公開講座では、スピードスケートの清水宏保選手を囲んだ座談会が行われました。
座談会では、清水選手は池田賢次先生(いけだ内科医院)の質問に答える形で、ご自身の体験や喘息治療への考え方を語りました。また、松嵜博幸先生(まつざき小児科院長)、小畑秀登先生(済生会下関総合病院呼吸器内科科長)、鶴田良介先生(山口大学大学院医学系研究科 救急・生体侵襲制御医学分野教授、山口大学医学部附属病院 先進救急医療センター長)が、喘息の病態や発作時の対応方法、治療薬の使い方などスライドを使用して分かりやすく説明しました。
幼少期から現在に至るまで、清水選手がどのように「喘息」と向き合い、金メダリストとなったのか――この日は快晴の行楽日和にもかかわらず、たくさんの参加者が集い、清水選手の話に熱心に耳を傾けました。

物心ついたころにはすでに喘息を発症していた清水選手。生まれつき小柄できしゃな体つき、頻繁に発作を起こして学校を欠席、入退院を繰り返すなど、スケートの練習も休みがちだったといいます。ご両親の薬物治療への抵抗感から、民間療法や運動療法に重点をおいていたために何度か救急車で運ばれたこともあるそうです。夜、苦しくて眠れず、椅子にかけたままで眠る生活が1~2週間続くと、「なぜ僕だけがこんな苦しい思いをしなければならないのか」と恨めしく思ったこともあるといいます。
しかし、さすが世界のトップアスリート! 一方で、常に肺や心臓を意識し、自分のからだと向き合う術を身につけられたことが、スポーツ選手として大きな財産となっているのだそうです。
会場から清水選手に「スケートをやめたいと思ったことはないのですか」という質問が向けられると、「最初の頃は、肺の状態が安定しているときでもゴール時に吐き気を感じて、何度もスケートをやめたいと思ったことがある。それでも続けるうちに、次第に自分のからだが変化していくのを実感できた」と答えました。

続いて、清水選手は会場の参加者に、子どもの喘息には家族のサポートが必要であるというメッセージを送りました。
「喘息の症状は夜中から朝方に悪化することが多いのですが、家族に迷惑をかけまいと我慢していると、親は必ず起きて背中をさすったり、少しでも楽になる方法を考えていました。そうした支えがあったからこそ頑張れたし、喘息にも負けなかったのではないかと思っています」と家族への深い感謝の気持ちを伝えました。

清水選手は大学時代に、オリンピック選考会や大きな試合に出場するために十分なコントロールを目指し、吸入ステロイド薬による治療を始めました。ところが、調子が良くなると1か月程度で止めてしまい、また悪化するということを何度か繰り返していました。これではいけないと、半年から1年継続したところ、発作らしい発作を経験しなくなり、それからは発作を恐れることなく試合に臨めるようになりました。現在は新しい治療薬の朝晩2回の吸入により完全に喘息がコントロールできているそうです。当日実施した清水選手の喘息コントロールテスト(ACT)の点数は25点満点でした。

清水選手は、「喘息であることで常に自分の体と向き合う術を得られた。喘息だからと逃げるのではなく、喘息と向き合って受け入れることで、精神的にもプラスの方向へ働いていく部分がある。」と語りました。そして最後に、来場者全員へのメッセージとして「あきらめず、前向きに治療を受ければ喘息のない生活は実現できる。喘息がハンデキャップであるというマイナス思考を捨て、僕と一緒にがんばりましょう!」と呼びかけました。